top of page

目と手と声と、それから…

第21回

 

ルポライター 山口 葦風

 

 JR山手線の目白駅から徒歩3分のところにあるイタリアン・カフェ・レストラン“MAC's CARROT”は、街の喧騒から少し離れた居心地のいい店だ。ある秋の午後、集まった客の会話に混じって、静かにピアノの演奏が始まる。それにあわせて、どこからともなくアロマの香りが漂い出すと、店内は不思議な別世界へと変わっている。

 この日のウェルカム・アロマは、スギ枝葉・ヒノキ木部・コウヤマキ木部・ラベンダーアルパイン・オレンジスイートをブレンドした『BED ROOM』(飛騨産業)で、自己主張をし過ぎることはなく、くつろいだ雰囲気で客を歓迎してくれる。

 

コロッケ・椎茸・ワイン

 出演者の簡単な紹介に続き、さっそく朗読が始まる。

 森下典子の『コロッケパンは自由の味』、村上春樹の『コロッケとの蜜月』は、どちらも軽妙なタッチで、コロッケに関するエピソードを描いた魅力的なエッセーだ。無性にコロッケが食べたくなる2編であり、朗読である。

 朗読が終わり、「コロッケを食べたい!」という欲望が頂点に達した瞬間、揚げたてのコロッケバーガーがテーブルに出される。レストランの全面協力による、絶妙なタイミング。朗読された作品を思い出しながら、それを頬張る。店内のあちこちから笑い声が湧く。

 参加者の1人・Sさんは「子どものころ、両親が勤めていて、よく留守番をしました。道路を渡らずに行ける、“いなげや”という肉屋さんの熱々のコロッケを、嬉しく、またさびしく食べたことを思い出しました」と話す。

 コロッケバーガーでおなかを満たした後は、中島京子の『妻が椎茸だったころ』。朗読についていえば、この短編小説が、今回のメインディッシュである。

 亡くなった妻の代わりに料理教室に行くことになった夫。甘辛く煮た椎茸を持ってくるように言われるが、そんなものは作ったことがない。妻の残した「料理ノート」を開く夫のてんやわんやを、上品なユーモアとともに描いた作品の朗読に合わせ、ここでもアロマが焚かれる。甘辛い椎茸の香りは、まるで今、台所の行平鍋で煮詰められているかのようだ。

 最後は、詞音の『君はバラより芳しい』を、シーンに応じてブルガリアンローズやパパイヤのアロマとともに楽しむ。

 ワインの香りを通して男女の愛を語るコメディ・タッチの作品で、会場にもぶどうジュースが配られた。ワインでないのが残念だが、作中のワイン会の場面にあわせて、テイスティングをする。物語がいま、ここで進行しているのか、それとも自分は物語の登場人物だったのか――。楽しい錯覚に身を任せる。

色とりどりの動物たち

 五感で楽しむ、このユニークな朗読会は今年で3回目、vol.3のテーマは“アノコロ”。

 現・ぐっぴーずは俳協(東京俳優生活協同組合)所属の俳優であり、長年、養成所講師として教鞭を執るかたわら、各所で朗読指導や演出を行なっている岡田和子の下に多彩なメンバーが集まった。

 この日のアロマを演出したのは、アロマテラピーアドバイザーの資格も持つ新明愛梨。新明は朗読家でもあるとともに、詞音というペンネームで脚本制作も行なっている。そう、『君はバラより芳しい』を、この朗読会のために書き下ろしたのが彼女である。アロマに関する専門知識と、朗読家としての経験から、適切な瞬間に香りの演出をしてくれる。人の鼻は案外、匂いに慣れやすいらしい。だから、タイミングが大切なのだ。

 作品のイメージに添って作曲し、朗読に合わせて演奏をしてくれるのは、ピアニスト・伊藤祥子。ニューヨークで演劇とジャズを学んでからキャリアを積み、2015年にはリオ・デジャネイロで録音した自身初のアルバムをリリースしている。

 声に出す日本語と東北弁を愛する、わだめいこは、舞台朗読を中心に活動しながら、ビジネスマナー講師としても多数の企業でフレッシャーズを指導している。

 唯一の男性メンバー・斉藤和彦(ティアラフロンティア所属)は、舞台やテレビ等で活躍する役者でもある。美輪明宏主演の舞台『黒蜥蜴』(原作・江戸川乱歩)、映画『夢売るふたり』などに出演し、特技は殺陣とのこと。

 そして、この「コトノハのトビラ、香り奏でる朗読会」を企画し、自身も出演しているのが、原ミユキ(ぷろだくしょんバオバブ所属)だ。ナレーターとして活動しながら「映像を言葉で伝える」音声ガイドのディスクライバーとしてTV・舞台の音声解説を作成し、映画のライブガイドも行なう。

 様々な活動をするメンバーが集まり、作り上げた、色鮮やかな舞台芸術こそが、この朗読会といえる。

 

一緒に楽しむ朗読会

 この朗読会を始めたのは、ある視覚障害者と原の出会いがきっかけ。彼女の朗読に感動した当事者2人が、「おもしろい朗読会をやろう!」と盛り上がり、せっかくだから「香りもつけてみよう」という話になった。そのころ、ちょうどアロマの勉強をしていたのが新明で、話はトントン拍子に進んでいった。

 読書を楽しむ方法はいろいろある。視覚障害者の場合、耳から聞くのはもちろん、嗅覚や味覚を使えば作品をもっと楽しめるのではないかということが、この朗読会のコンセプトになっている。特に香りは、過去の思い出、「あのころ」を呼び起こすのに効果的ともいわれる。

 だが、いうのとやるのとでは大違いだ。原によれば「いちばん苦労するのは作品選び」らしい。香りが印象的な作品というのは意外と少ない上に、飽きない長さや内容のおもしろさなどを考慮すると、理想の作品に出会えるまで100作以上は探すという。おまけに、準備していたアロマが、クーラーやすきま風で流されてしまったり、厨房から予定外のニンニクの匂いが漂ったりなど、いろいろなハプニングもある。

 だが、朗読と香りの相乗効果は、確かに存在する。「朗読を聴くというより、物語の中に入り込んで登場人物と一緒にストーリーを体験する」という当事者もいて、それぞれの楽しみ方があるということはメンバーにとっても驚きだった。

 一方で、最初はとまどっていた晴眼者が、いつの間にか視覚障害を自然にサポートする光景も、この朗読会ではしばしば見られる。見える・見えないに関係なく、一緒に楽しめる朗読会として広まっていくことが、メンバーの願いでもある。

 「コトノハのトビラ、香り奏でる朗読会」は、日本視覚障碍者芸術文化協会の主催で、毎年東京で開催されている。遠方からの来場者や自分の地域でも開催してほしいという声もあり、機会があれば地方公演にも挑戦したいとのことだ。

 会場の選定、メンバーの日程調整、費用、それから作品選びも簡単なことではないと思うが、地方公演を含め、今後のさらなる発展を期待したい。

「月刊 視覚障害」2019年1月号掲載文より(全文公開許諾済)
 

1537716151097.jpg
bottom of page